慶應義塾大学 商学部
菊澤研宗研究会
取引コスト理論とは
このページでは『取引コスト理論』を紹介しています。
コ-スの取引コスト理論では、取引する場合、どうして取引コストが発生するのかという基本的問題が解かれていない。この基本的問題をより深く研究し、コースの議論をより体系的に展開しようと試みたのは、ウイリアムソンである。以下、このウイリアムソンの議論(Williamson,1975,1985,1986,and 1996)をできるだけ簡単に整理しよう。
まず、ウイリアムソンは取引コスト発生メカニズムを説明するために、新古典派経済学で仮定されている完全合理性の仮定をゆるめ、サイモン(Simon,1961)の影響を受けて以下のような形で限定合理性の仮定と効用極大化仮説を導入した。
(TC1)
限定合理性の仮定:すべての経済主体は情報の収集、処理、そして伝達表現能力に限界があり、「合理的であろうと意図
されているが、限定的でしかありえない」(Simon,1961:p.xxiv)行動をとる。
(TC2)
機会主義の仮定:すべての経済主体は自分の利害のために悪徳的に行動する可能性がある。
ここで、もしこのような経済主体間で取引がなされるならば、以下のように取引コストが発生する。まず、すべての経済主体は情報の収集、処理、そして伝達能力に限界があり、機会主義的な性向をもつので、経済主体は可能ならば相手をだましても利益をえようとするだろう。ここで、相手にだまされないためには、取引契約前に相手を調査し、取引契約中に正式な契約書をかわし、そして取引契約後も契約履行を監視する必要があり、それゆえ取引にコストがかかる。これら取引をめぐる一連のコストが取引コストであり、この取引コストを節約するために、経済主体の機会主義的行動の出現を統治する様々な制度が展開されると考えるのがウイリアムソンの取引コスト理論である。
しかも、ウイリアムソンによると、取引コストは以下のように資産の特殊性、不確実性、そして取引頻度といったより具体的取引状況に依存する。
(a)〈資産の特殊性〉:資産の特殊性とは、ある人と取引をするとその価値は高いが、別の人と取引をするとその価値が低下する資産の特性のことであり、一般に相互依存関係にある資産は特殊である。このような特殊な資産にかかわる取引では、取引が少数者に限定される。
たとえば、特殊な部品を必要とする組立メ-カーとそのような特殊な部品を供給できる特殊な工作機械を所有する部品メーカーとの間の取引がこれである。このような取引では、(TC1)取引当事者はともに情報の収集、処理、伝達能力に限界があり、しかも(TC2)機会主義的に行動する可能性があるので、取引当事者は互いに駆け引きし、そのために不必要な取引コストが発生する。
また、いったん取引契約が締結され、一方の当事者が取引に特殊な投資をして特殊な資産を形成すると、この特殊な投資を回収するために、長くこの取引契約関係を続ける必要が生じる。この場合、(TC1)取引当事者はともに情報の収集、処理、そして伝達能力に限界があり、しかも(TC2)ともに機会主義的に行動しうるので、この特殊な投資は「人質」となり、良好な取引関係を続けていかないと、この「人質」が犠牲になり、回収不可能な埋没コストになる。それゆえ、特殊な投資をした当事者は、常に他の当事者によって機会主義的に駆け引きを仕掛けられる可能性があり、この特殊な関係を打ち切るように脅されたり、法外な要求をつきつけられたりするホールド・アップ問題(3)に巻き込まれる可能性がある。このように、特殊な資産に関連する取引では、不必要な取引や交渉がなされるので、取引コストは高くなる。
(b)〈不確実性〉:不確実で錯綜した取引状況では、(TC1)すべての取引当事者は情報の収集、処理、そして伝達能力に限界があり、互いに相手を十分知ることができないので、(TC2)相互に機会主義的にだましあいをする可能性がある(モラル・ハザード問題)(4)。それゆえ、このような取引状況では、取引コストは高くなる。
(c)〈取引頻度〉:取引頻度が高い取引状況では、(TC1)すべての取引当事者は情報の収集、処理、そして伝達能力に限界があり、(TC2)機会主義的に行動する可能性があるとしても、取引回数に比例して相互に相手の情報をえることができるならば、機会主義的行動は抑制され、取引コストは節約される。しかし、取引頻度が多くても、相互に相手の情報が全くえられない場合には、逆に頻度に比例して機会主義が現われるので、取引コストは増加する。
以上のように、取引コスト理論は、新古典派経済学の完全合理性の仮定をゆるめ、(TC1)限定合理性と(TC2)機会主義の仮定を導入することによって、一方でその説明範囲を拡張し、他方で取引関係をより正確に分析し、取引コスト発生のメカニズムを明らかにする理論であるといえる。しかも、それは、すべての制度を取引コストを節約し機会主義の出現を抑制する統治構造あるいはガバナンス構造として説明する理論でもある。