慶應義塾大学 商学部
菊澤研宗研究会
所有権理論とは
このページでは『所有権理論』を紹介しています。
〈新古典派ワルラス・モデルの理論的基礎〉
さて、所有権理論の基礎を特徴づけるために、この理論を標準的な新古典派経済学の代表であるワルラス(L.Walras)の一般均衡モデルと比較しよう。まず、ワルラスの一般均衡モデルでは、経済主体に関して以下のような効用極大化仮説と完全合理性が仮定されている。
(NC1)すべての経済主体は効用極大化する。
(NC2)すべての経済主体は完全な情報収集、処理、そして伝達能力をもち、完全に合理的に行動する。
これらの仮定に従えば、すべての経済主体は効用を高めるために完全に合理的に行動し、供給者としてあるいは需要者として市場で財を交換しようとする。そして、もし市場で需要と供給が一致しないならば、価格が変化して需要と供給は調整される。この場合、財を効率的に利用できる需要者は価格が上昇してもその財を需要し続け、他方、効率的に財を利用できない需要者は価格の上昇によって市場から退出する。同様に、財を効率的に生産できる供給者は価格が低下しても財を供給しようとし、他方、効率的に生産できない供給者は価格の低下によって市場から退出することになる。
ここで、もしすべての市場で需要と供給が調整され、すべての財の市場価格が決定されるならば、この一般均衡価格体系のもとにすべての財が交換されることになる。この場合、財をもっとも効率的に利用する経済主体に財が配分されることになるので、このような市場経済は資源の効率的な利用と配分システムとなる。これが、一般均衡理論によって描きだされる最適な資源の利用と配分システムである。
〈所有権理論の理論的基礎と基礎概念〉
これに対して、所有権理論では、新古典派経済学の完全合理性の仮定がゆるめられ、以下のような限定合理性の仮定が導入される。
(PR1)すべての経済主体は効用極大化する。
(PR2)すべての経済主体は情報収集、処理、伝達表現能力に限界があり、限定合理的にしか行動できない。
このような経済主体は、(PR2)限定された情報の収集、処理、そして伝達能力のもとでも、(PR1)自らの効用を極大化するために、財の交換取引を行う。しかし、この場合、経済主体は限定合理的にしか行動できないので、市場取引を通して財が効率的に利用され配分される保証はない。財は市場取引を通して効率的に利用される場合もあるし、非効率に利用される場合もある。それゆえ、限定合理性の仮定を導入することによって、いずれのケースも分析され、理論の説明範囲が拡張されることになる。
とくに、所有権理論では、この効率性および非効率を生み出す原因としてより正確に財の所有権関係が分析され、経済主体が交換しようとするのは標準的な経済学でいわれている財やサ-ビスそれ自体ではなく、より厳密に財やサービスがもつ多様な特性、性質、そして属性に関する所有権であるとされる。たとえば、自動車を購入する場合、われわれが購入するのは、厳密にいえば、物理的物体としての自動車ではなくA車の色、デザイン、加速力、そして燃費等の車がもつ多様な属性の所有権である。また、われわれが医者のサ-ビスを購入するとき、われわれが購入するのは医者の技術だけでなく、医者の接客態度、そして病院で待たされる時間等である。このように、所有権理論では、財やサ-ビスがもつ多様な属性の所有権が注目される(1)。
ここで、所有権理論の最も重要な概念である「所有権」をより一般的に定式化すれば、以下のような権利を含む権利の束である(2)。
(a)財のある特質を自由に使用する権利。
(b)財のある特質が生み出す利益を獲得する権利。
(c)他人にこれらの権利を売る権利。
また、所有権理論では、この「所有権」の概念は、法律上で使用される定義に比べて弾力的に使用される。たとえば、企業組織内のある職務につくメンバ-は、経営資源としての人、物、金、そして情報を使用する権利をもつ。このような権利もまた、所有権理論では「所有権」として扱われることになる。
さらに、このような「所有権」は、以下のような特徴をもつと仮定される(3)。
(α)所有権は分割されたり、統合されたりする。
(β)所有権は強化されたり、希薄化されたりする。
(γ)所有権は人に帰属されたり、人から取り去られたりする。
以上のように、所有権理論は、新古典派経済学の完全合理性の仮定をゆるめ、限定合理性の仮定を導入することによって、一方でその説明範囲を拡張し、他方で交換取引をめぐる財の所有権関係をより正確に分析する理論であるといえる。
〈所有権理論の理論的構想〉
さて、もし財の多様な特質や属性がコストをかけずに認識でき、その所有権がコストをかけずに誰かに帰属されるならば、その財の特質がもたらすプラス・マイナス効果は、その所有権を保有する経済主体に明確に帰属させることができる。それゆえ、その所有権の主体は効用を極大化するために、マイナス効果を避け、プラス効果を高めるように、その財をできるだけ効率的に利用しようとするだろう。この場合、資源は効率的に利用され配分されることになる。このように、すべての財の所有権が誰かに明確に帰属されている世界が新古典派経済学が説明する世界であり、それは財の効率的利用と配分をもたらす市場経済システムである。
しかし、実際には、経済主体は(PR1)効用極大化するが、(PR2)その情報の収集、処理、そして伝達能力は限定されているので、コストをかけることなくして財の多様な特質を認識し、その所有権を誰かに帰属させることは難しい。むしろ、現実には財のもつ多様な特徴は認識されず、その所有権の帰属が不明確となるケースが多い。それゆえ、その財の利用によって発生するプラス・マイナス効果は特定の人に帰属されず、その効果は「外部性(externalities)」としてだれかに導かれることになる。
ここで、外部性とは相互作用する人々が生み出すプラス・マイナス効果が彼ら自身に帰属されず、別の人々に帰属される効果を意味する。コースの言葉を借りると、「外部性は、・・・ある人の意思決定がその意思決定にかかわっていない誰かに影響を与えること、と定義される。そこで、もしAがBから何かを買うと、Aの買うという意思決定はBに影響を与えるが、これは『外部性』とはみなされない。しかし、AのBとの取引が取引の当事者でないC、D、Eに、たとえば騒音や煙といった形で影響を与える結果になった場合には、C、D、Eへの影響は『外部性』と呼ばれる」(4)。たとえば、電力会社が火力発電し、電気を顧客に供給するために排煙を出し、そのために近隣の洗濯屋がより多くの労働を投入することになるような影響はマイナスの外部性である。
このような外部性のある世界では、資源の利用によってもたらされるプラス・マイナス効果はその人に直接導かれないので、資源は非効率に利用されうる。それゆえ、資源を効率的に利用し配分するためには、外部性を内部化する必要があり、その資源をめぐる所有権を明確にだれかに帰属させる必要がある。しかし、すべての人間の能力は限定されているので、外部性を内部化するにはコストがかかる。このコストのために、外部性は必ずしも内部化されず、外部性としてそのまま残される場合もある(5)。この場合、資源の所有権は不明確なままとなり、その資源はだれもが使用できる「パブリック・ドメイン」(6)として非効率に利用されることになる。
このように、もし所有権を明確に誰かに帰属させ、外部性を内部化することによって生じる利益がそうするコストよりも大きいならば、その所有権を明確に誰かに帰属させる制度が展開される。逆に、そうすることによって生まれるコストが大きいならば、その所有権は明確にされず、外部性は残されたままとなる。このような基本的原理にもとづいて、既存の様々な制度を説明したり、政策を展開したりするのが、所有権理論の理論的構想である。